憲法のあるべき姿~何のための憲法か?
前回は、『日本国憲法はすでに死んでいる』ことに関しての実例を挙げてみた。
それなら、憲法とはそもそもどういう存在なのかについて、今回述べてみよう。
近代憲法の成立
近代憲法はイギリスから発展してきた。
絶対王政のもとで、
王の持つ強力な権限を制限するための約束として
議会と取り決められたのが憲法だ。
これによって、王権から国民の権利が守られることとなった。
ここから、憲法が何のためにあるか、
誰に向けてのものなのかが分かる。
憲法とは、国民に対するものではない。
権力を持つ者、日本でいえば国会議員や官僚といった行政側を縛るためのものである。
そうでなければ、行政の横暴で国民の権利が侵害された時、
救済される根拠がなくなってしまう。
だから、
第99条
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
の規定がわざわざ明文化されているのだ。
憲法への意識に欠ける日本国民
憲法改正の論議になると必ず出てくる主張に、
「現行憲法は敗戦時、アメリカから押し付けられたものだ」というものがある。
だから、独自の憲法を持とうというのだ。
ところで、同じ敗戦国であるドイツは58回(2013年5月時点)も憲法改正を行っている。
ちなみに、押しつけた側のアメリカの憲法修正は、
「連邦議会の上下両院で3分の2の賛成」があった場合、発議され、
さらに「全米の州の4分の3の州議会の賛成」が必要で、かなりハードルが高い。
このように、世界各国の憲法に対する姿勢は様々あるが、
日本の特徴としては、憲法論議をする人に「右翼」のレッテルが貼られがちなことである。
日本人は、戦争に対する罪の意識ゆえか、
憲法に触れることをタブー視してきた節がある。
これは政府やマスコミが、
「憲法と言えば9条」と喧伝してきたからだと思うが、
そのために、すでに基本的人権が侵されていることから
目を背けることになってしまったのは、大きな過ちだ。
まぁ、政府にとっては、その方が都合がよかったのだろう。
他の国のように、何かある度に国民がデモを起こしたり、
実力行使したら、たまったものではなかったろうから。
しかし、それをいいことにやりたい放題やったり、
国民の生命や資産に損害を与えても
責任を取らずに多額の退職金をもらって逃げるようなことは許されない。
近代デモクラシー(民主主義)の祖「ジョン・ロック」は、
国家権力は『国民の生命・自由・財産』を保護する目的で行使されなければならず、
政治権力が、国民の権利や自由を不当に侵害することに対しては、
国民は抵抗権や革命権を行使する権利を持っていると説いた。
つまり、国民の生命・自由・財産を不当に侵害する政府は、
力ずくで妥当してもいいというのである。
もちろん、現代日本で暴力での革命やクーデターを認めるつもりはないが、
血税を無駄に使ったり、税金や利権で私腹を肥やすような議員や官僚に対しては、
もっと怒りの声を上げるべきだと思う。
福島第一原発であれほどの事故を起こして、
これほどの汚染を引き起こしておきながら、
何もなかったかのように原発を推進しようという政府が
憲法改正を声高々に唱えるのを聞くと鳥肌が立つ。
これまでずっと憲法違反を続けてきた政府、政党が・・・。
憲法改正について考えるなら、
国民はこれらの事実をもっとよく知るべきだ。
憲法が政府を縛る役目を果たしていないことを。
憲法がすでに、あって無きが如しになっていることを。
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