「B1グランプリin郡山」を巡って思った「日本人の美徳」

b1グランプリ郡山

今日は、先日行われた、B1グランプリの会場を回って思ったことを書いてみます。

B1の集客力は予想以上

平成26年10月18日~19日、我が地元、福島県郡山市で「B1グランプリin郡山」が盛大に開催されました。


2日間とも秋晴れで、暑くもなく、寒くもなく、これ以上ない絶好のお出かけ日和。

来場者数、のべ45万人(内、一人が私)と、私が物心ついて以来、記憶にないほどの大盛況イベントでした。


郡山市の人口は、約32万人。

ここまで大きなイベントをやるだけのキャパがあるのか、いまいち不安でしたが、特に大きな問題もなく終わったようで、良かった良かったと、安堵しています。

私は、朝早く行ったため、まだ来場者は少ない方でしたが、それでも信じがたい程の人の海が広がっていました。

会場を回ってみると、各団体がいろんなPRを行っています。
寸劇だったり、歌っていたり、踊っていたりと熱気がスゴイ。
食べ物だけではない、町おこしのイベントなんだと肌で実感しました。

ただ、あまりに人が多すぎて、間近に行かないと、何をやっているのか分からないのは、少々残念なところですね。

会場スペースの都合もあるのでしょうが、出店者と来場者のコミュニケーションを取りやすくすると、さらに町おこし効果が上がると思いました。

日本人の美徳はイベントに対する意識にも現れる

このような大きなイベントが滞りなく成功するためには、開催側の努力はもちろんのことですが、来場者側の意識も大きいと思っています。

出店者来場者

双方が一つになって「イベントを作り上げる」という感覚がないと(無意識も含みます)、巨大な企画は成功しないですし、大きなトラブルが発生しかねません。

ブラジルワールドカップで、試合後、日本人サポーターがゴミを拾っている姿が世界で賞賛されたのは記憶に新しいですよね。

日本人サポーターには、「自分も日本代表の一人」という意識を持っていたでしょうし、

自分もワールドカップという一大イベントを構成する一員だ」との思いもあったのでしょう。

だからこそ、本来運営サイドが行うゴミ拾いを積極的に行ったのです。

「自分はお客さんだ」という意識よりも、「自分も一緒にワールドカップを作り上げているんだ」と思っている(たぶん無意識的に)。

日本人のこういった行動は、有事の際、特に顕著に現れます。

有名なのは、東日本大震災の時、駅の階段に座っている人々の写真。
覚えている方も多いでしょう。

http://webrealichi.xsrv.jp/ms/cs/Wakon/48

通る人のために中央を空けている写真です。

世界が驚愕した1枚ですが、なぜ驚くのか日本人には理解しかねた1枚です。

自己主張するよりも、「自分も社会を構成している一員だ」という意識(ないし無意識)のもと、社会をより良いものにしていこうと、自ら考えて行動するところに、日本人が世界から尊敬される一つの理由があると考えます。

しかしながら、日本人のこういう美徳は、残念なことに失われつつある気がします。

例えば、近年増加しているクレーマーモンスターペアレンツといった方々。

こういう人たちには、「自分の行動が社会を作り上げている」という意識が欠如しているとしか思えません。

そのため、

「お客様は神様だから、何をやってもいい」とか、「義務を無視しても権利は主張できるのが自由主義」だと勘違いしてしまうのでしょう。

今、世界が注目している日本人の美徳は、

もてなされる側も、もてなす側の意図をくみ取って、双方で場をより良いものに作り上げていこうとする意識から発現していると思っています(その最たる例が茶道)。

お互いが相手の気持ちを察する。

そして、推し量ったことを基に、相手を最大限尊重した言動を取り、その場をより良く作り上げようと努力する。

おもてなし』の原点は、ここにあります。

これは、日本人が世界に誇るべき、そして守り、伝えていくべき伝統の一つだと思っています。

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