安積国造神社~郡山の総鎮守神社の由緒とご祭神
今日は、郡山の総鎮守神社『安積国造神社(あさかくにつこじんじゃ)』をご紹介します。
某テレビドラマの影響からか、
他県の方は「安積」を「あずみ」と読みます。
郡山で生まれ育った私は、
子供の頃から「あさか」と読んでいたので、
ドラマを見て初めて、それ以外の読み方があったことに驚きました。
これって、ケンミンSHOWネタになるかな
でも、ちょっと弱いか。
アクセス
福島県郡山市清水台1-6-23
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郡山駅から歩いて10分ちょっと。
車で行く場合は、さくら通りから境内に入れます。
ただ、数台しか駐められませんから、
近くの有料駐車場を利用するか、
公共交通機関を使った方がいいかと思います。
由緒
天湯津彦命の10世孫であられる比止禰命が、安積(あさか)国造に任じられ、安積の国を開かれるにあたり、赤木山(現在の赤木町)に和久産巣日神、天湯津彦命をお祀りしました。後に比止禰命も合祀され、国造神社と号しました。
天和3年(1683)、八幡大神が赤木山の国造神社から、稲荷大神が中世の領主の安積伊東氏古城内から、現在の清水台の鎮座地に奉遷され、八幡宮、稲荷大明神として崇敬されました。
明治5年(1872)、赤木山に鎮座されていた国造神社が、八幡・稲荷の鎮座する清水台へ奉遷され、3社を総称して安積国造神社と号しました。
ご祭神
和久産巣日神(わくむすひのかみ)
若々しい生成力を生み出す神様です。
伊邪那美神(いざなみのかみ)の御子神、伊勢神宮外宮(げくう)のご祭神豊受大御神(とようけのおおみかみ)の御父神にあたります。
天湯津彦命(あめのゆつひこのみこと)
邇芸速日命(にぎはやひのみこと)が天磐船(あめのいわふね)に乗られて河内国河上の哮峰(いかるがのみね)に天降りされた時、従われて降臨された神様です。
比止禰命の御祖神です。
比止禰命(ひとねのみこと)
天湯津彦命の10世孫にあたります。
第13代成務天皇5年、勅命により阿尺国造(あさかのくにのみやつこ)に任ぜられました。
安芸の国から未開の当地へ赴かれ、社稷(しゃしょく)の神として和久産巣日神、天湯津彦命を赤木山に祭られ、阿尺(安積)の国を開かれました。
誉田別命(ほむだわけのみこと)
第15代応神天皇、八幡大神と称え奉ります。
坂上田村麻呂将軍東征の砌、国造神社に奉祀されました。
天和3年現在の鎮座地へ奉遷されました。
安産、子どもの成長、厄除け、交通安全はじめ、ご神徳が著しい神様です。
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
稲荷大神。中世の領主安積伊東氏古城内(現在の陣屋)に鎮座されていましたが、天和3年現在の鎮座地へ奉遷されました。
五穀豊穣、商売繁盛の神様です。
※以上、安積国造神社HPより引用させていただきました→http://www.asakakunituko.jp/
というわけで、
とても古くて由緒ある神社なんですね。
私の家は、郡山にもう一つある大きな神社『開成山大神宮』の方が近いので、
安積国造神社には、ほとんど足を運んでいませんでした。
最近では、開成山大神宮と安積国造神社の両方に参拝するようにしています。
郡山地域は、江戸時代末期に、奥州街道の宿場町としてはじまりましたが、
古代は何もない平野でした。
戊辰戦争で焼き払われた郡山宿ですが、
新政府が東北開発先駆けとしてこの「安積野(あさかの)の地」選びました。
明治時代、猪苗代湖から水を引く、安積疏水の事業の末、
郡山市は、全国トップクラスの稲の作付面積を誇る市になりました。
(原発事故で、今はどうなっているのかわかりません)
米作りが盛んだった郡山の鎮守の神さまが、
作物の神である和久産巣日神であったことに縁を感じます。
次回→安積国造神社に参拝